本当の自分に戻るための ブレイクスルー講座

罪悪感とどう向き合うのか

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2017年にamebaowndに書いた記事からピックアップし、今視点で買い直したものです

終末医療医師である奥さんと住職であり末期がん患者の方を支援する
活動をされているご主人
ご主人のガンを末期まで見つけることが出来なかった奥さん
末期がん患者に最期まで諦めずにと言ってたのに死なせてくれと懇願するご主人

正直見ていて辛かったです。

奥さんは罪悪感と償い

そして、自分の立場 ご主人の立場いろんなものが折り重なっての

選択なんだと思います。

もちろんご主人も

でも、どれもエゴなんです。

もちろん愛でもあるとは思います。
でも、エゴなんです。

「痛い」「痛い」と言い続ける

ご主人をベッドに縛り付け

ベッドごと立たせて無理からアイスクリームを食べさせて

「立てたね。よかったね」

というシーンは辛かった

「眠りたい」(緩和ケア=死なせてくれ)と言ってるのに

それも「生きたいんでしょ」と言ってさせなかった。

医者である奥さんは多くの患者さんを早期で発見してきたのに

ご主人の癌に気付くことが出来なかった。

それを番組の中でも悔いておられた。

その罪悪感が彼女にそういう行動をとらせたんだと思います。

 

でも、罪悪感がなければどういう行動をとったんだろうと思うのです。

生かせたい、生きて欲しいと願う事はエゴです。

誰しもがそう願う事なのですがエゴです。

愛されたいと願う事と同じ

最後まで苦しめられるエゴなのかもしれない

人にはいろんな形で罪悪感を感じながら生きています。

もちろん わたしも

罪悪感は手放してもいいんです。

持たなくていい

でも、感じなければいけない感情でもあります。

それは偽善の感情かも知れない

それでも、一旦は感じなければいけない感情

今、罪悪感すら感じず 自分視点だけでしか物事を

見れない人が増えている気がするんです。

何が欠落したらそうなるんだろう

どんな教えでそうなるんだろう

愛に目覚める人が増える一方で

そうでない人も増えている

それは日本だけなのか

世界的にそうなのか・・・

日本は仏教の国と言いながらも実際は無宗教の国

昔の日本はお寺が遊び場でした

和尚さんが遊びながら説法を解いてくれて

道徳を教えてくれていました。

ゆとり世代は学校で道徳を学んでいません。

本来は親が教えるものなのですけどね・・・・

その差が両極端な今の状況を生みだしているのかなと

ちょっと考えてしまいます。

勝ち組負け組なんて言葉もこの時代に生まれた言葉

平気で人に対し優劣をつけてそれを良しとしてきた時代

取ったもん勝ち

罪悪感を感じないのはそんなことも背景にあるではと思うのです。

もしかしたら 間違ったスピリチュアルの捉え方を

した結果なのかもしれないけど・・・

スピリチュアルには学びが伴います

罪悪感やいろんなマイナスな感情を感じ

それを乗り越える過程で大きなことを学ぶ

学びがなければそれはスピリチュアルではない

とわたしは思います。

感じるなって言ったり

感じろって言ったり大忙しです(≧▽≦)

それは

捉え方が人それぞれだから

だから、大切なことは表現を変えて書く必要があるんです。

もちろん あとから気付くこともあります。

スピリチュアルの世界はいつも変動しています。

それは少しずつだけどみんなが上昇しているから

気付くことが増えていく

変わっていくそれがスピリチュアルな世界

愛は感じるもの 左脳では理解できません
少し考えるところがあってこれは書いておかなくてはと思って書いてます。皆さんは愛ってどう言うものか100%理論的に言葉に置き換えて説明すること出来ますか?出来ないと思います。だって、愛って心と魂で感じる

 

 

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